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第738回例会 平成17年3月24日(木)
◎本日の例会プログラム 会員卓話 新入会員卓話 松岡靖会員
○次回例会プログラム ゲスト卓話「職場のこころの健康を高めるために
〜うつ病の予防と対策〜」
大貞病院 向笠浩貴氏
前回(737回例会)の記録 平成17年3月17日(木)
■ビジター
中津中央RC 宿利公夫君、多田一三君
玖珠RC 矢原澄郎君
■出席報告
会員数 32名
免除者数 1名
対象者数 31名
本日出席者 23名
欠席者数 8名
出席率 74.19%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 12名
メイクアップ 03名
欠 席 者 09名
修正出席率 61.29%→70.97%
●メイクアップ
岡野(中津中央RC)、池中(中津RC)
永松(達)(選挙管理委員会)
●欠席者
黒瀬、松岡、安部、渡辺、久恒、永松(孝)、小野、下村、出納
ロータリーソング
それでこそロータリー
会長の時間
会長 白石 耕三
風邪を曳いていまして、聞き苦しいかと思いますが 皆さんも風邪を曳かないよう気をつけてください。
昨日のクラブ協議会では委員長の皆様お疲れさまでした。
中津中央クラブより30周年の記念式典の案内が来ておりまして5月28日(土)サンル−トで行われます。
さて、不動産登記法がオンライン申請に伴い、全部改正になりまして、只今、勉強中です。そもそもこうなったのは平成6年12月の閣議決定で「行政情報推進基本計画」から始まり平成11年12月の「ミレニアムプロジェクト」において、電子政府を実現するための政府認証基盤整備が掲げられ、平成13年1月の高度情報通信ネットワ−ク社会推進戦略本部のe−Japan戦略では「我が国が5年以内に世界最先端のIT国家になる」という目標を実現するために「2003年までに国が提供する実質的にすべての行政手続きをインタ−ネット経由で可能にする」という政府方針からです。
IT化で動き始めています。これをチャンスに変えていくことが大事なことだと思います。
幹事報告
幹事 田原 和己
●例会変更
中津中央RC→4/5(火)の例会はお花見例会のため、たはらに変更。4/19(火)の例会は向笠公園の清掃例会のため、12:30〜福沢茶屋に変更。
湯布院RC→3/19(土)は町内清掃例会になります。
大分臨海RC、大分1985RC、大分南RC、大分東RC、大分城西RC、大分RC、別府RC、別府北RC、別府東RC、別府中央RC
●週報受理
中津中央RC
●幹事報告
1.中津中央RCより創立30周年記念祝賀会のご案内が届いています。5/28(土)16:30〜
2.中津RCより4月のプログラムが届いています。
3.中津中央RCより4月のプログラムが届いています。
委員会報告
会計
3/25(金)に中津中央RC30周年事業・コンサートチケット代金3,000円を引き落とします。
ニコニコボックス
担当 親睦委員会
○熊谷会員 新年度RC手続要覧が発行されています。改正点が4箇所ありますので、是非チェック願います。
○池中会員 今日は早退させていただきます。
○岩田会員 先日は(クラブ協議会)ありがとうございました。
○矢原会員(玖珠RC・ガバナー補佐) 昨日はクラブ協議会に参加できませんでしたが、今日は例会に参加させていただきました。
○宿利会員(中津中央RC) 2週連続でMUさせていただきます。周年事業には全員出席いただけるとのこと、ありがとうございます。
○白石会長 先週は出席ができませんでした。会長代理ということで副会長さんには大変ご迷惑をかけました。ガバナー補佐の例会出席に感謝いたします。
○津崎会員 早退させていただきます。
ゲスト卓話
「日本で勉強したこと」
大分大学 大学院 劉綺莉氏
私は、劉綺莉と申します。中国の武漢から参りました。今は大分大学の経済学研究科の留学生です。今年で、日本に来て3年半になります。大分では、美しい豊かな自然環境と優しく親切な地域の人々に囲まれて、忙しいけど充実した毎日を送ることができました。
今日は私が大分の留学生活で感じたこと、それと自分の研究テーマについて、皆さんにご紹介したいと思います。
「なぜ、留学先として日本を選んだのですか。」という質問を多くの日本人から受けたことがあります。実は、子供の時、故郷の武漢大学の桜園へ花見に行って、そのとき初めて見た桜の美しさと儚さに、すごく感動したんです。それ以来、日本の桜をぜひ一度見てみたいと、ずっと思っていました。
この、島国である日本は、西洋と東洋文化を、うまく融合させ、独特の魅力で人々をひきつけています。さらに、50年代から70年代半ばまでの高度成長期における、「東洋の奇跡」と呼ばれる経済発展があって、今では世界の先進国となっています。それで、大学を卒業した頃、この国の経済政策と社会政策をもっと学びたいという気持ちがわいてきました。またこれまで自分が過ごしてきた土地を離れ、異なった環境の下で暮らしてみたい、そして、その国の言語を学び、そこに住む人々との交流を通して、独特の文化や社会を深く理解したいとも思い、私は日本に留学することを決心したのです。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、中国語に「讀万巻書不如行万里路」という諺があります。その意味は、「書物を読んでばかりいるより万里の道を行くほうが勉強になる」、つまり「百聞は一見に如かず」ということです。
確かに、日本に来てすぐの頃は、びっくりしたことが、たくさんありました。例えば、肉よりも高い野菜がある、とか、歩いている人より車の数のほうが多い、とか、どこにでも自動販売機があるし、どんな建物にも自動ドアが付いている…そんな全てのことを興味深々で眺めながら、日本語の勉強を続けていました。日本語が話せるようになると、日本人の間に積極的に入って行って、子供のように、たくさんの質問をして、少しずつ、いろいろなことが、分かり始めてきました。日本にいる間に、私自身が、人間としても、成長したと言えると思います。
こんなことも、ありました。ある日私は学校の奨学金の推薦に落ちてしまったのです。このときは、強い挫折感に囚われてしまい、周りの学生の笑顔を見ただけで、私はとても寂しく感じて、誰も自分の今までの努力を認めてくれないんだと思い込み、一人で研究室で泣きました。そのあとも、しばらく私は何もやりたくなく、誰とも話したくなく、毎日大学をうろうろしていました。そんなとき、「劉さん、どうしたの?元気ないじゃないの…」と一つの声が遠くから流れてきました。「ん…」あまり返事をしたくないと思って、急いで立ち去ろうと思いながら、いい加減な受け答えをしたのですが、よく見ると、留学生センターの元職員の方だったんです。その50代の彼は、私の顔をみて、「日本に来て毎日大変だっただろうけど、良く頑張ってるね」といいました。それまで、あまり親しく話したこともない人からそんなに優しい言葉をかけてもらって、ちょっと嬉しくなったんですが、すぐに、失敗したことを再び思い出して、また落ち込んできて、「いいえ、ぜんぜん、そんなこと、ないんです」と自分に答えるように言いました。「いやいや、来たときより日本語も随分上手に話せるようになっているじゃないですか?真面目に勉強しているんですね」と彼は優しく笑って言いました。その顔を見て、私は久しぶりに中国にいるお父さんと話しているみたいな気がしてきて、何だか胸が熱くなって、思っていることを素直に話せました。今、そのときの話しの内容を、2つだけ覚えています。1つは「なぜ日本に留学したのか?自分自身を伸ばすために日本に留学したんじゃなかったのか」ということです。もう一つは「何があっても、前向きに考えることが大事だ、そうして努力を続ければ、周りから認めてもらえるだけではなく、自分も納得できるし、成長することもできる」ということです。この話しがずっと心に残っていて、生活面にしろ、学習面にしろ、折に触れそこから力を得て、日本で勉強を続けています。
では、次に今年の1月に提出した研究論文について簡単に皆さんにご紹介しようと思います。テーマは「中国の市場経済化の下での年金改革と『農民工』の年金問題」です。さきほど、ちょっと、触れたように、私が日本に留学した理由の一つに、日本の経済政策、社会政策を学びたいというのがありました。私は、日本に来てから、社会政策の中でも、特に社会の高齢化問題に関心を持つようになりました。そして、日本の年金制度、医療保険制度、介護保険制度の内容、それとその仕組みを勉強する一方で、中国の現状にも目を向けるようになりました。中国では、今、急激に経済が発展しています。その速度は、凄まじいと言えるほどで、その結果、様々な弊害も生じているわけですが、中でも、国民を対象とする生活保障制度の確立は、急を要する課題であり、今後の中国社会の安定のために重要な役割を担っていると考えています。中国の社会保険制度について、みなさんは、どのくらい、ご存知でしょうか。例えば、ここ50年間の中国経済発展の変化に基づき社会保障制度の歴史的変遷を概観しますと、まず、1951年には『中国人民共和国労働保険条例』を公布し、1953年に当時多様な経済主体を適用対象とする労働保険を修正しました。これは中国社会保障制度の原点と考えられます。都市部の労働者を対象とする年金、労災、医療、生育を含む労働保険が、当時のソ連の保険制度を参考したため、全額企業負担でした。計画的に社会資源を配分するための戸籍制度を導入したことで社会保障制度の場合でも都市と農村という二元的な制度が形成されてきました。特に都市部の住民が必ずどこかに帰属することになる企業や役所、学校、公的機関などであり、それは単に仕事をして給与をうけとるための場だけではなく、社会保障をはじめとする公的サービスなどすべて適用します。
1978年以来、一連の経済改革に加え、従来の社会基盤の崩壊に伴い、社会保障制度も必然的にその改革を求められました。この調整は1986年に始まりました。特に1980年代の年金制度の限界が明らかになり、年金改革が不可避になっていました。大きく言えば1984年〜1991年の企業年金制度の改革段階、1992年〜1995年の中国の独自年金制度への模索段階、1996年から現在までの全国統一年金制度への統合段階です。新年金制度の実施後、10%未満の加入率及び加入企業の形態によりばらつきなどの問題も生じてきました。が以上のような流れの中で、現在の中国社会が積み残してきた課題の一つである「農民工」現象に焦点を絞って、考えてみました。農民工というのは、日本の出稼ぎ労働者に似ているのですが、全く同じというわけではありません。少し、詳しく説明します。従来の中国社会は戸籍制度により農村部と都市部に、はっきり分けられていました。その結果、住民も都市部労働者と農民に分けられていたのです。そのため、都市部の住民と農民とでは、その生活環境、仕事場、社会保障制度などの内容も異なっています。例えば、首都の北京や沿岸部の上海と、内陸部の貴州、を思い浮かべてみてください。その町の様子を一見しただけで、経済格差を実感できると思います。それだけじゃありません。目には見えない部分、つまり、社会保障制度も大きく異なっているのです。このように都市部では市場経済の発展がある一方で、農村部では、土地がなくなる農民あるいは高い収入を得たい農民が続出し、そんな農民たちが都市部に入って、3K労働に従事するようになりました。しかし、この農民たちは、戸籍制度の制約を受け、都市部では基本的生活保障制度を享受できません。これが、いわゆる、農民工と呼ばれる人々なのです。つまり、都市部で働きながら、戸籍が農村部にあるため、都市部の住民の持つ権利は持たされず、農村部にも既に生活の基盤を失っている、そんな人々なのです。都市部での仕事は最悪のものであるとはいえ、農民工も、やはり、労働者として基本的生活を保障されるべきであり、さらにこの農民工の年金問題は、これまでの中国の年金制度には、全く組み込まれておらず、制度の1つの大きな欠陥と考えられます。これを、このまま放置しておくと、いずれ、社会不安の要因となることは、明らかであるし、また、中国が成熟した豊かな国となるためには、避けて通れない問題だと思っています。そこで、私は、修士論文で、この農民工の定義、基本属性、形成要因に基づき、彼らの就労と生活状況を考察し、今後の課題などについて、まとめたのです。以上、簡単ですが、今、私が研究しているテーマについてお話しました。
3月25日に私は大分大学の経済学研究科の修士課程を修了します。そして、4月から金沢大学の社会環境科学研究科の博士後期課程に進学します。私の人生の2番目の故郷である大分を離れるのは、凄く寂しいし、不安です。私の先生、友達、周囲の人々…皆の支えを得た大分での勉強と生活は素晴らしく、忘れられない思い出になるだろうと思います。4月から私は日本で2回目の挑戦をしてみます。知り合いが一人も居ない金沢にはどんな生活が待っているのでしょうか?皆さん、金沢にいらっしゃるときには、ぜひ知らせてください。綺麗な金沢の町を一緒に満喫しましょう。
(文責/二反田)
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