例 会 報(週報) ________________   【PDF版はコチラ】
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第581回例会 平成13年11月22日(木) kanji 01/11/27(火) 0:43

第581回例会 平成13年11月22日(木)
 kanji  - 01/11/27(火) 0:43 -

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   第581回例会 平成13年11月22日(木)

◎本日の例会プログラム    会員卓話    足立会員

○次回例会プログラム    ゲスト卓話 中津法務局長 吉松氏

前回(580回例会)の記録 平成13年11月15日(木)
■ビジター
 中津中央RC    宿利公夫君
 中津RC    佐藤正直君、須賀誠司君
    若松舜児君

■出席報告
 会員数    34名
 免除者数    1名
 対象者数    33名
 本日出席者    28名
 欠席者数    5名
 出席率        84.85%

■前々回出席報告の修正
 前々回欠席者    10名
 メイクアップ    9名
 欠 席 者    1名
 修正出席率 69.70%→96.97%

●メイクアップ
 辛嶋、松本、白石、小川(中津中央RC)
 梶原、足立、津崎、江渕    (地区大会)
 永松(孝)    (東京立川RC)

●欠席者
 種村


会長の時間
久恒眞一 会長
皆さんこんにちは。先日の日曜日に3クラブゴルフコンペが周防灘カントリークラブで開催されました。平成クラブより7名の参加、3クラブで28名参加でした。好天に恵まれ絶好のゴルフ日和になり心身ともにリフレッシュができました。成績のほうは見事我クラブが団体の部で優勝を勝ち取ることができました。後程詳しい話が矢頭親睦委員長よりあるとおもいます。又、10日の土曜日には趣味の会で池中会員のお世話になり大勢の参加で椎茸のホダギとりが行われました。私は私用で参加できませんでしたが楽しい趣味の会が行われたようです。矢頭親睦委員長には大変忙しい1週間だったと思いますが大変お世話になりました。スポーツの秋、健康の秋を存分に楽しむことができた1週間でもありました。今後も楽しい企画を組んで、皆で親睦を深めていきたいと思います。これで会長の時間を終わります。

幹事報告
二反田新一 幹事
・例会変更 
中津RC    11/28(水)は場所変更です。NECセミコンダクターズ(株)「職場例会」
12/19(水)は時間変更です。18:30〜 「夜間例会」
大分城西RC    11/21(水)は時間、会場変更です。
18:30〜「クラブ協議会」大分全日空オアシスタワー
湯布院RC    11/29(水)は時間、会場変更です。
11:00〜「職場例会」
湯布院ワイナリー
・週報受理御礼
寿崎PG
・青少年指導者ふれあい交流会(案内)
中津市青少年健全育成市民会議 《回覧》
・人権を守る市民の集い講演会(参加依頼)
中津市同和教育推進協議会   《回覧》
・ロータリー財団8月現在個人寄付明細
地区ガバナーより       《回覧》
・“Rotary World” “THE ROTARIAN”
《回覧》
・ユニセフ「アフガン難民緊急募金」のお願い
次回理事役員会にて協議    《回覧》
・週報受理
宇佐八幡RC、本渡中央RC、佐伯RC、八代RC、玖珠RC
・例会終了後に理事役員会開催

委員会報告
・親睦委員会 矢頭委員長
◆11月10日に椎茸のほだ木取りがありました。池中さんお世話になりました。
◆11月11日に中津3RC親睦ゴルフコンペが開催されました。
我クラブから7名が参加し、団体優勝しました。
個人成績
第3位:永松達彦会員
第4位:加来会員 
第5位:矢頭会員
第10位:梶屋会員
第11位:江渕会員
・姉妹交流委員会 熊谷委員長
 明日16日熊本に姉妹交流会に出発です。

ニコニコボックス
○熊谷会員:明日からの姉妹交流会が楽しい会になる様に祈念して
○江渕会員:3クラブコンペでたくさん賞品をもらったので
○矢頭会員:しいたけのほだ木取りの会費が余ったので(参加者:池中、岩田、出納、熊谷、永松(達)、小川、加来、二反田、矢頭会員)。3クラブゴルフコンペで我クラブが優勝したので。
○小野会員:ほだ木を池中さんに頂いたのと、10日の食の祭典が無事終わったので。鱧列車で大分から260人が中津に来て、その内50人を嘉乃で受けました。
○梶屋会員:ゴルフで10位になったので。
○加来会員:ほだ木取りでは池中さんお世話になりました。ゴルフでは同伴競技者に恵まれ、グロス75、ハンディ1.2という自己ベストタイ記録でまわり、ベスグロ賞を貰いました。
○佐藤正直さん(中津RC):3クラブコンペに多くの方に参加して頂いたので
○田原会員:姉のログハウスをフィンランドから私が仲介して輸入し、ユーロというお金を初めて使ったので。

新入会員卓話
榎本会員
入会して、1ヶ月半経ちましたが、まだまだ慣れておりません。ガバナー公式訪問から始まり、職場例会、夜間例会と毎週毎週さまざまな行事があり、多少とまどっております。先週の金曜日に向笠さんのお見舞いにロータリーの方々と久留米まで行ってまいりました。行きも帰りも出納さんが運転されたのですが、出納さんのタフなことには、びっくりいたしました。そして運転も上手で後ろに乗っていても、安心していられました。さすがに園長先生だなあとつくづく思いました。
片道2時間位の道のりでありましたが、人生経験豊富な方々のお話しを拝聴させて頂き、大変勉強になりました。特に熊谷さんのお話しは、この不景気の世の中を生き抜いて行くのに大変参考になることばかりでありました。向笠さんの術後の経過はよく非常に元気になられており、今週は検査をし、来週には退院されるとのことでした。早く戻って来て、又私たちを指導していただきたいと思っております。
さて、今日は新入会員卓話ということで、何をしゃべればよいのかよくわかりませんが、まず自己紹介ということで話をさせて頂きます。つたない卓話になるかと思いますが、最後までおつきあい下さい。
私は、昭和29年に玖珠町森という所で生まれました。江戸時代に森藩の城下町として栄えた旧森町という所であります。紅葉のきれいな、深耶馬渓からちょっと行ったところです。今は高速道路のインターも出来、非常に便利になったのですが、私の小さい頃は、国鉄の久大線の豊後森駅があるくらいで、多少不便な所であったと記憶しております。玖珠といいますと全国的に知られているのが、「日本のアンデルセン」と言われた久留島武彦ではないかと思います。我が国の童話、児童文化の開拓者である久留島先生は、森藩主の家に明治7年に生まれ、大正、昭和と激動の時代も、全国の子供達に夢と希望を語り歩いており、日本中で足を踏み入れていない所は無いと思われるほどであったようです。特に戦後の日本の再建には、児童文化の高揚が欠かせないと、5月5日の「子供の日」の制定を訴え、実現させたそうです。昭和25年に三島公園というすばらしい公園に童話碑という日本一の石碑を建てられ、そこで第1回日本童話祭が開催され、それ以降ここで5月5日に大々的に催されています。久留島先生はその後、昭和35年に86才の生涯を終えられたのですが、その偉業は今でも受け継がれています。この三島公園の近くに「わらべの館」という施設ができ、そこにその偉業の一部が展示されております。私の学んだ小学校はこの三島公園のすぐそばにあり、この童話碑の前でよく遊んだ記憶がございます。
当時の小学校は今みたいなコンクリートの建物ではなく木造の校舎でした。窓ガラスを磨いたり板張りの床をぬか雑巾で一生懸命磨いたものでした。今の子供達の教育の中で足りないものは、こういった物に対する愛着心というものではないかと思います。
仕事がら小学校や中学校の校舎などの新築、改築工事をやってきましたが、建てた時は非常にきれいに仕上がっているのですが、何年か経ってそこに行って見ると、いたる所で傷んでいたり、汚れていたりしています。子供達自身に物を大切にするという精神をもう少し教えて行かねばならないかと思っております。高校は森高校という所を卒業しましたが、卒業生の中では衆議院議員であります、衛藤征士郎先生がおられました。玖珠町の町長さんを歴任された後、参議院、そして衆議院と順調に政治家の道を歩かれていたのですが、同じ選挙区に日田の畑英次郎先生がおられ常に町を二分にする選挙戦でありました。衛藤先生が郷里の玖珠を離れ、県南の選挙区へ移られてからは、無風状態になっておりました。高校卒業後は、名古屋の大学へ進学し、建築学を専攻いたしましたが、学生時代は勉強をしたという記憶があまりありません。もっぱらアルバイトに明け暮れておりました。当時はまだ今ほどゴルフは盛んではなかったのですが、あるきっかけでゴルフの製造直売店でアルバイトを始めそこでゴルフを覚えました。当時のクラブはまだ、パーシモンヘッドにスチールシャフトの時代でありました。名古屋では、ゴルフのビッグトーナメントが年2回ありました。春は中日クラウンズゴルフ、秋は東海クラシックゴルフが開催されていました。その時必ずプロゴルファー達がこの店にやって来ておりました。青木功や杉原輝夫、杉本英生、安田春雄など当時のトッププレーヤー達もやって来ては、ヘッドバランスを調整したりグリップを巻き変えたり、シャフトの長さを調整してみたり色々でした。
プロの世界ではスコアーの1打1打が何十万円になったり、何百万円になったりするので、真剣そのものでした。その頃からゴルフクラブが色々な物に変わりつつありました。
ウッドはパーシモンからメタルヘッドに変わっていき、アイアンも軟鉄からステンレスヘッドに変わり、そしてシャフトは色々な物が出てきました。軽量スチールシャフトからカーボンシャフトそしてカラーシャフトなどでしたが、特にカーボンシャフトは釣竿のメーカーがしのぎを削っており、シャフトの主流を占めるようになりました。今は性能の良いクラブが比較的安く変えますし、色々なタイプが店頭に並んでいます。その為か安易にクラブセットを買い換えたりしているようですが、これも時代の変化なのかなあと思ったりもしています。大学もなんとか、卒業できたのですが、就職がなかなか見つかりませんでした。しばらくゴルフ関係の仕事をしていたのですが、これでは安定しないなあと思い、とりあえず帰郷してみたのですが、なかなかうまく行きませんでした。ある縁でこの中津にやって来たのですが、たまたま田村建設と縁ができ、入社し、建築の仕事をやって来たのです。田村建設は昭和26年に創業し初代の社長に田村さんがなられ、その後10年くらいして村口さんが社長になられたようです。私が入社した昭和54年頃は学校の建て替えが主流でありました。鉄筋コンクリートの建物がほとんどで、公共工事も沢山ありました。そしてアパートやマンションなどの高層建築も始まりました。色々な建物を建てて来ましたが、出来上がった時の感動は何年経っても忘れられません。長い工事は1年以上かかった物もありましたが、休む暇も無いくらいに忙しかったと記憶しております。今の様に、週40時間という労働環境などではなく、日曜日もまともに休めない時もありました。やはり、そのくらい働かないと景気は回復しないのではないかと思ったりもしています。とにかく、厳しい時代に入っております。
原点に戻り、頑張るしかないのかなあと思っております。これからも、色々と御指導いただき、一生懸命やっていきたいと思っておりますのでどうぞ宜しくお願いいたします。


◆ロータリー情報委員会 辛嶋会員

ロータリー・ソング
ポール・ハリスに誘われて5人目の会員になった印刷屋のハリー・ラッグルズは、不動産屋のウィル・ジェンソンを推薦して参加させた人として知られていますが、最初の頃のある集会で彼は椅子の上に立ち上がり「歌をうたおうではないか」と呼びかけました。それがきっかけで今日、世界各地のロータリークラブの例会や会合で歌うことが習慣となっています。
日本で現在歌われている「奉仕の理想」や「我等の生業」は1935年(昭和10年)京都における地区大会において、新作の日本語ロータリー・ソングとして発表されたものです。

ではどれぐらいのソングがあるかといえば、日本では上記のほかに、「手に手つないで」、「それでこそロータリー」、「四つのテスト」、「日も月も星も」などが知られています。
また、「リパブリック賛歌」の替え歌として「我等日本のロータリアン」といったものもあります。
もともと童心に返るということを目的として歌い始められたロータリー・ソングですが、ときには日本の文部省唱歌などを歌うクラブもあります。


(文責/加来)
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98)@nttooit02060.ppp.infoweb.ne.jp>

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